演出家の役割


こんにちは、演出家の深寅芥です。

演出家というのは、日本の野球で言えば、『監督』のようなものです。

 

野球はスポーツだから、「勝ち」、「負け」が明確ではありますが、演劇の場合は、「価値があるか」「価値がないか」となります。

 

ですが、演劇の場合、お客様の感想は千差万別です。
「面白かった」と琴線に触れるお客様もいれば、「面白くなかった」と酷評されるお客様もいます。


もちろん、演出家はお客様全員に満足してもらえる作品を作り上げようと、日々努力しています。

 

しかし、小学生の高学年の子供複数に「チェーホフ」の作品について力説した所で、恐らく興味を示してくれるのは、その中の数%でしょうし、「凄い」とか「難しい」といった事はなんとなくは伝わるかもしれませんが、その作品の問題や、本質を理解する事は人生経験が不足な場合、やはり困難ではありましょう。


チェーホフなどの歴史に残る戯曲は、
10代の頃は、10代の感性で、

20代の頃には、20代での理解を。
30代の頃には、ぼんやりとながら本質を。
40代を越えた頃にやっと、明確に歴史に残るべくして、残った名著である事が理解できたりします。


つまり、良書は各、個人の年齢や、人生の積み重ねに応じて、解釈や理解が深まっていくのです。

それを専門的には、「ハイコンテクスト」「ローコンテクスト」の相違といいます。

 

それでも演出家は世代間を越えた、「面白さ」や「深さ」を伝えたいと努めます。しかし、残念ながら、演出家が専門的や知的になればなるほど、「ハイコンテクスト」と「ローコンテクスト」の格差が広がるのです。

 

だからといって、それを諦める必要もありません。

 

「複雑で難解な事こそ、シンプル」にしようと努力します。

 

複雑に絡み合った紐を、一つ一つ丁寧にほどいていくように、

演出家は「複雑で難解な事こそ、シンプルに」と、観客だけでなく、出演者・スタッフに伝わるように、作品を提示します。