「戯曲を読み解く力」


「戯曲を読み解く力」は想像以上に必要です。

俳優だけではありません。演出家もそうですし、スタッフにも必要な事なのです。

 

戯曲を読み解く力がなければ、舞台や映像化はできませんし、舞台に関わる者全てに必要な必須項目なのです。

 

その「戯曲を読み解く」という必要な要素を今の若い人には、失われているように思います。

その、根本的な原因は何なのでしょうか?

 

これに関しては、各個人の幼少時の「本との距離」が重要になってくるのでしょう。

 

子どもの頃、「しっかり書かれている文章や文」にどれだけ接してこれたか?その事が重要だと思います。

 

勿論、くだらない小説は世の中にはたくさんありますし、、高尚な論文やマニュアルも世の中にはたくさんあります。


私は、自分自身を振り返ると結構な「本好き」でした。幼稚園、小学生の頃、かなりの数を読んでいました。

 

小学生低学年の頃には、向田邦子さんの脚本や小説を読み、小学生ながらに「この人の作品は凄い」と思っていました。

当然の事ながら、芥川にも太宰にも小学生高学年の頃に触れてます。私が、日本人の作家で一番好きなのは、「森鴎外」です。

「森鴎外」は日本の歴史の中でも、別格であると中学生の頃には感じていました。

 

けして、「自分の本好き」を自慢したかったわけではありません。恐らく、幼少期から、本好きであった過去があるので、今の私があるのだろうと考えています。恐らく、環境に恵まれていました。実家の本棚に、数えきれない程のたくさんの本があった為です。それが今の私を形成したのだと思います。

 

ですが、今の若い人は、良書に巡り合える機会が昔より少なくなっているかとは思います。

 

勿論、文字に触れる機会は昔より多くなっています。ですが、

現在のようなブログやtwitterやfacebookの世界だけでは、それは一過性と時間の浪費になり、
「文学」というより、「情報」として捉えてしまう可能性が高いように思われます。

 

そもそも、ネット上で私は「文学」にあった事はありません。私のネット歴は20年以上に及びます。

それでも、ネット上で「文学」にあった事がないのです。ですから、私は、基本的にネットとは「情報」しかないと考えています。

 

ネット以外でも今の雑誌の文章はレベルが下がったと思います。

 

毎月のお小遣いを、私は、「本」や「雑誌」に充てていました。

その時の「お小遣い」が、今の私を形成しているとも思っています。

 

それでは、今の中・高校生は何に「お金」を使っているのでしょうか?


1980年代の頃、本や雑誌は確実に 価格以上の価値がありました。

そのような書籍に出会った経験があるので、今でも「本」の価値を信じているのだと思います。

 

それが、今では「500円」の娯楽は「500円程度の価値」しか感じません。更に、デジタルコンテンツの多くは、「無形」である為、手元に残りません。


やはり、現在こそ、良書に巡り合うために、少ないお小遣いを、「書籍」に費やすべきだと思います。

もし、皆さんが、俳優や演出家を目指したいのであれば、戯曲やシナリオをたくさん読むべきでだと私は考えます。