「時代を映す鏡」のもう一つの側面

殆どの「現代演劇」と言われるものは、「時代を映す鏡」である。

言い換えれば、10年、20年経ってしまって、風化してしまう、陳腐化してしまう作品は、「歴史に残らない作品」であるともいえる。

 

「歴史に残らない作品」でかまわないと、あなたが自覚して創作活動をしているのなら、何も問題はない。

 

ただ、思えるのは、

 

手塚治虫の作品が今後も読まれるように、恐らくワンピースだって30年後読まれていると思う。

モーツアルトが現代でも聞かれているように、ビートルズも30年後も聞かれていると思う。

 つまり、「モナリザは常にモナリザだ。」

 

そんなつもりで作品を作り続けている芸術家は本当に少ない。

今、あなたは、「消費」される事を望んでいるのだろうか?

つまり、「時代を映す鏡」と言われている時点で、それは「消費」されている事と同義となる。

 

現在のようにあらゆる事象が「コンテンツ」となった時代において「消費」されないものを作る事は当然、容易な事ではない。

「消費」とは一過性であり、その真逆にあるのが、「普遍性」となる。

 

「語り継がれるモノ」というのが、「普遍性」の条件であると私は思っている。

 

風姿花伝で言えば、

「不易」と「流行」

 

平家物語で言えば、

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」

 

この現代における「消費」のサイクルは一昔前以上に高速になっている。

 

そのつもりで、あなたは創作活動と向かいあってほしい。