「不幸な話」を好む人もいる。「幸せな話」を好む人もいる。
何故、演劇において、「喜劇」「悲劇」というたった2つのジャンルしかないのか不思議だ。
恐らく、2000年近くに及ぶ演劇の世界において、多くの観客に好まれてきたのが、「喜劇」と「悲劇」なのであろうとは考えている。
しかしながら、観客が本当に望んでいるものが「喜劇」或いは、「悲劇」であるのだろうか?
別に「幸せな話」でも良いではないか?(念のため、「幽玄」においては、別の機会にお話をしたいと思う。)
「不幸せな話」を好んで鑑賞する事にも、若干「不謹慎」だなと思うこともあるし、世の中は「笑い飛ばす」だけでは動かない。電車も車も。
では、「幸せを描く」というのはどういう事か? 成功体験談なのか? それとも有益な情報か? 若しくは、未来の予言か?
温故知新なのか?人間讃歌なのか?或いは、事件・歴史を描いた芝居なのか? はたまた、ドキュメントなのか? フィクションなのか?
正直に言えば、演目を「悲劇」か「喜劇」かに分ければ、殆どの客は満足するだろう。そこに対して、若干の抵抗があるのだ。
何故、私がこんな事を書いているかと云えば、ある考えが私の中にあるからだ。
「不幸」も伝染する。「幸せ」も伝染する。
こと、日本において、私は、
「軍隊を持たない国の演劇」について考えてきた。
他の国にはない、日本だけの唯一の「要素」だからだ。
これは我が国の特徴なのではなかろうか?と10年以上考えてきたが、今だ本当の答えは出ない。
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