「成功体験」とは、人を良くもするし、悪くもする。

「人に迷惑をかけないように生きる」事よりも、「人からたくさん助けてもらえる人」の方が、幸福である。


「成功体験」とは、その人にとって、「この選択をして良かった」と思える体験である。

当然の事ながら、人は幼少の頃から、この「成功体験」を積み重ねて、成長していく。

子供が怪我しないように、自ら「痛い思い」をした経験については、2度としないように注意する。

何度も同じ痛みを味合わないように。

 

その為、「成功体験」の全てが良くなるとは限らない。

 

例えば

  • ビギナーズラックで得をして、ギャンブルにはまった事
  • モヤモヤやイライラをタバコや酒で回避できた事
  • 泣きじゃくって、喚き散らしたお蔭で、人に優しくされた事。
  • 嫌な事を全部回避して、逃げ癖ができた事。

 

上記のような事も人の「成功体験」となる。

これらについては、その人の中で鮮明に強い思いで「成功体験」として裏打ちされているから、

本人にとっては、第三者からのアドバイスや否定等を聞いた所で、心を入れ替えたりする事は少ない。

 

第三者から、どんなにその人がリスクを取っているように見えても、その人の「選択する」上での癖になっているのだ。

 

そもそも、人間の赤ちゃんの最初のコミュニケーションは、「泣く」という行為である。

お腹がすいたら、泣くし。 おしっこ、うんちをしたら泣くし。 眠くなったら泣くし。 嫌になったり、寂しくなったり、つまらなくなったら泣く。


それはどんな人種・人類でも一番最初のコミュニケーションとなる。

 

そこから、人は成長していく過程で「泣かないで」コミュニケーションをする方法を学んでいく。それは言葉だったり、態度だったりする。


親は子供に「泣いては駄目よ。」と教えていく。それが教育であり、躾だ。

 

暴力的な行動をした場合、(例えば、物を壊したり、本を壊したり。)

それを正しく、叱り、「暴力や、破壊は正しくない。」と伝える。

 

親は、「何が正しくて、何が正しくないか?」をきちんと子供に躾の中で伝えていかなくてはならない。

 

子供が難しい年頃になってきた場合に、「何が正しくて、何が正しくないか?」を正しく伝えられない局面が出てくる。

 

例えば、学校のイジメなどはそうであろう。

 

「闘う事」を教えるのか、「逃げる事」を教えるのか?

 

この選択は本当に難しい。

 

 先ずは、本音で、「なんでも親にしゃべってくれる子供」になって欲しいというのが親の希望であろう。

 

なかには「親を心配させてはいけない」といじめられている事さえも親に隠す、心優しい子供もいる。

 

子供がそうなってしまった理由は、「心配かけさせてはいけない。」

と幼少の頃に強く印象に残った事があるからであろう。


「人に迷惑をかけてはいけない」は、難しい言葉だ。

 

そもそも、社会において、人に迷惑かけないで生きていく事なんてできない。

 

社会が正しく運営されているのには、水を供給している人、電気を供給している人、食物を供給している人、

そういった方々が社会で目立たない活動をしているから、私たちは、生きていけている。

 

実際、私達が生きているという事は「人様に迷惑をかけて、生きている事」でしかない。

 

その視点で考えた場合、目標が「人に迷惑をかけない子になる」となってしまうと、「人と関わりを持たない生活」を考えなければならない。

私は「ひきこもり」の原因はここに行き着くと考えていたりする。

 

「上手に人様に迷惑をかける」方法を伝える事は本当に難しい。

 

私は「人から沢山助けて貰える人になりなさい。」と自分の子供には伝えていきたいと思っている。