演技は人を育む

何故、そんな事が断言できるのか?

理由は簡単だ。それは、俳優は「私以外になろう」とするからである。

演技とは「他人の思考や身体を吸収する行為。」である。


「他の人になる」という行為である。だが、「他の人になる」という行為は単純ではない。


先ず、俳優は初めに「自分自身の事」を知らなければならない。

演技をする上で、自分自身が出発点だからだ。


性格・容姿・特徴・喋り方・考え方・行動・くせ・人からの印象・思考手順

そういったものを、先ずは、客観的に自分自身で把握しなければならない。


「己を知る」


それが、演技の出発点である。

でなければ、「他人」との相違点に気がつけない。そして、俳優は遡る事になる。自分自身の過去を。


「何故、私は、このような人間になってしまったのか?」と・・・。自分自身で問いかけなければならない。


ここが重要なポイントとなる。


自分自身が形成されてきた経緯。これを遡る事が演技をする上で、必要になってくる。

つまり、「自分自身の過去の経験を振り返る」必要性が出てくる。


親・環境・性格・教育

 

そういった自分を形成したモノを思い出す。自分自身の力で。


「何故、私は、あの時、あのような選択・判断をしたのか?」


恐らく、俳優でなくとも、このような「過去の振り返り」をするのではあろう。

それを納得するまで自問自答するのだ。


そしてまた、俳優は自分自身の「感情」を呼び起こす為に、「過去の振り返り」がどうしても必要となる。


どうしたら、私は泣けるのか?

どうしたら、私は激怒する事ができるのか?

どうしたら、私は、心の底から笑えるのか?

そういった自分の感情を呼び起こすトリガーを探す。


だが、更に俳優の旅は続く、


if・・・・

 

「もし、あの時、私は、あのような選択・判断をしていなかったらどのようになっていたのか?」


自分の選択が別の選択になっていた場合、私は、どのような人生を歩んでいるのか?

自分自身の経験から別の「もし」を探す。


これによって、自分の「価値基準」が少しずつ明確になる。


自分自身が無知であった事、愚かであった事、怠惰であった事。

そういった事と、向き合わざるえなくなる。


そして、何故、私は「演技」をしたいのか?という事にも正面から向き合う。

そして、何故、「演技」という方法を用いて、表現したいのかにも向き合わざる得ない。


演技は人を育む。

それは、「自分自身が何者なのか?」と向き合わざるえなくなるからだ。

 

演技とは哲学的な行為なのである。

そして、物語とは「if」である。