芸術家は「不幸」でなければならない。という呪縛。

この考えはどこから生まれたのだろう?

「芸術家は『不幸』になって当前だ。」

「芸術家は『苦労』して当然。」

 

そもそも、生きる上で、「不幸」になったり、「苦労」しなければ

芸術家ではないのか?

 

私はそうは考えない。

 

はっきりと言えば、「マスメディアの洗脳」ではないか?

そう思ってしまう。

 

芸術家は

「理解されなくて当然。」

「賛同されなくて当然。」

「苦労して当然。」

「貧乏で当然。」

「気が狂って当然。」

 

歴史上、一般に認知された芸術家が「不幸な人生」をおくったからといって、あなたが不幸である必要はない。

 

あなたの「芸術家」像は、どんな「芸術家」か?

ドラッグに溺れる芸術家か?

自殺する芸術家か?

反体制派な芸術家か?

 

それは本当にあなた自身が、芸術家を分析した結果なのだろうか?

メディアに、「悲劇の主人公」として描かれた芸術家ではないだろうか?

 

本物の芸術家は、「あらゆる事象を疑う。」

 

それが先人たちの残した「芸術家」像だと、私は思う。

あなたはどうだろうか?

 

村上隆氏の「芸術起業論」を是非、読んでみて欲しい。

 

先ずは、「あなたの、ありきたりな芸術」を疑え。

そこからだ。