舞台DMLCに向けて ② です。
現在、10月21日です。
来月(11月)になったら様々、発表できるかとは思いますが、
先ずは、「舞台公演」を行うための第一稿を昨日、書き終えました。
やはり、脚本を書き終えるという行為は、気分が上がりますね。
と同時に、「演劇の大きな作業の半分を終えた」という気持ちにもなります。
○脚本を書き上がるのが50%
○稽古場で演出家が俳優と一緒に作り上げていく行為が50%
といった所でしょうか。
勿論、劇場にて、音響・照明・美術さんとの連携もあるので、演劇の作業工程を大きく2つに分けてしまう行為は、少々強引な行為かもしれませんが、作家と演出を兼任している私としては、率直に「半分の仕事を終えた」と感じているのは事実です。
そして、その「書き上げた台本」を元に、俳優に稽古場で演出家として指示を出し、スタッフさんに、様々な依頼を出していく事となります。
さて、今後、「台本・シナリオ・戯曲の書き方」について、私は、私のコラムで明記していきたいと思っています。
ですが、その前に、先ずは、私の考えている「台本・シナリオ・戯曲(=以下 台本とのみ記します。)」について明記させてください。
その前に、先ずは、「台本・シナリオ・戯曲」の定義を簡単にさせて頂きます。
○ 登場人物同士が会話を通じて、「物語」を表出し、ト書き等を通じて、細かく状況設定を読み手に指示を出している文章。
と「台本」を定義しておきます。
全くもって、学術的な定義ではありませんが、大筋あっている事でしょう。
作家の中には、舞台装置の絵や、図等を書いている「台本」もあったりします。
前回の、コラムでも書きましたが、演劇や映画やドラマの「台本」は、建築でいう所の、家やビルの「設計図」と同じです。
劇場において、作品を、「立ち上げる」為に必要なのが「台本」なのです。
作家はこの「台本」を通じて、「観客に伝えたい事はこういう事です。」と演出家や俳優・スタッフに指示を出しています。
その作家の思いや構想を汲み取って、演出家・俳優・スタッフは、舞台上に立体化します。
そのような存在が「台本」なのです。まあ、当然なのですが・・・。
さて、「台本」を書くことは大変な行為かと言えば・・・。恐らく、一般的には大変な行為なのでしょう。
良く聞くのは、「台本」だけでなく、「小説」でもそうらしいのですが、
一般的な人にとって、「フィクション(物語)を作る事は、特別な才能が必要だ」と思っている側面があるみたいです。
実際、私も「物語を作る事は大変」だと思ってます。
ただ、その反面、人間は「生きている限り、何かの事件に巻き込まれている」という事にも目を向けなければならないと思ます。
「いたって、平穏な普通の生活をしている」という方々も多いとは思いますが、
人によって「自分の彼氏が女友達と浮気していた」という事も事件ですし、「家族が金銭トラブルに巻き込まれた」というのも、事件です。
それだけ、私達の社会は、様々な「事件・危機」が存在しています。
そして、世界に目を向けてみれば、人類史上、例を見ない、「シリア難民」等も、壮大な事件・危機です。
当然ながら、70年前に起きた、広島や長崎の原爆投下も事件・危機です。そして、東日本大震災も大きな事件・危機でした。
様々な「危機」が世の中に数多く存在しています。
そういった事を、文章として、明記されているのが、「物語」であると私は想定しています。
私達は現在、平和な日本に生きておりますが、私達自身が、「シリア難民」の方々の気持ちになってみて考えてみる。
それを「フィクションをシュミレーションして、実演してみる」という行為が演劇的行為です。
それが、私が考えている。「物語の立脚」です。
なかには、「科学的にありえないフィクション」も存在します。
エイリアンが地球に突然、攻めてきたり、小惑星が数日後に地球に衝突する等も、今の所「ありえないフィクション」として存在します。
ですが、皆さんがご存知の通り、そのような映画や漫画が世の中にはたくさん溢れています。
ですから、私が「脚本を書きたい方」へのアドバイスは、
「様々な存在しない(或いは存在する)人物が、人間が想定可能な「事件・危機」を、シュミレーションした結果」が物語である。
と言えるのかもしれません。
つまり、日常の中に潜んでいる様々な「事件」や「危機」をしっかり観察する能力が、作家には必要です。
そして、「危機=クライシス」を解決する能力が人間にはあると、人間自身が思っているからこそ、多くの物語は成り立つのです。
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